松本 将太(まつもとしょうた)

  • 昭和56年1月15日生  40才 男
  • 北海道苫小牧市在住
  • 北海道苫小牧市出身
  • 趣味・ゴルフ、釣り
  • 特技・日曜大工

初めまして、土地家屋調査士の松本です。

弁護士や司法書士、税理士といった士業、いわゆる専門家の方達は、○○大学卒業、大学在学中現役国家試験合格等、輝かしい経歴をお持ちの方が多いですが、輝かしいそれとは異なる少し変わった異色の経歴を紹介させて頂きます。

高校受験もせず、中卒で建設現場作業員としてのスタート

中学生の頃は特に「この職業に就きたい」という夢や目標がなく、ただ、若いうちにお金を貯めて「居酒屋」でも経営したいと考えていました。

高校受験はせず、当時、建築現場作業員でも1、2を争う手取りが期待できた「型枠大工」という職に就き、16才で初任給16万円の給料をもらい、何にお金を使っていいのか分からず、「居酒屋経営」の為に毎月10万円づつ貯金して、初年度は「一日も欠勤せず」一年間で120万の貯金ができ、目標達成の為にはまずまずのスタートでしたが、、、

「挫折」

17才で周りの仲間や先輩方と外で遊ぶ機会も増え、「遊び」を覚え、頑張って貯めた貯金も遊びだすとあっという間に無くなりました。仕事も休みがちになり、貯金も出来なくなり、その日暮らしの日々が続き、目標を達成する為に遊びや何かを我慢することもせず、23才になるまで実家でダラダラと何の目標も無く現場作業員として働き、親の脛をかじって生活する世間で言ういわゆる「落ちこぼれ」となっていました。経験と共に仕事は覚えていったが、バブル崩壊の影響で給料は思っていた程昇給せず、なんでこの仕事をしているのか、他に何か出来ることはないのか、考える様になりました。

でも「中卒」ではなぁ、、、

「転機」

この頃になって、老朽化が原因で借家だった実家を取り壊す事となり、強制的に一人暮らし・独立を余儀なくされました。実家を出て市内のアパートで一人暮らしを始めて、家事や自炊は大変だったが、それなりに一人暮らしを楽しみました。職場では経験と実績を買われて24才で職長として現場の作業責任者を任されてそれなりにやりがいはあったものの、このままでは満足できない、なにか目標をもって取り組むもう、「変わろう」と決意し、国家試験の勉強を始めました。学歴がないというコンプレックスや、目標は大きく持とうという思いから、建設業では最高位の国家試験である「建築士」試験に目を付け、受験資格の関係からまずは二級建築士の勉強を始めました。現場作業と試験勉強の両立となりましたが、建築士の勉強は楽しく、そこまで苦にならず、独学で学科試験を一年目でパスし、製図試験は予備校に通って挑戦することとなりました。

「自信」

苫小牧の建築関係資格の某大手予備校で半年間製図を教わりました。周りの受講生は工業高校の建築科や土木科を卒業した方や、専門学校で建築・製図を教わっている方が大半でした。

「中卒の自分には無理かな」と思う時もありました。

この時の予備校費用は30万円でした。安月給で一人暮らしの私にはとても安い金額ではありませんでした。

朝早起きしてお昼の弁当を作って、日中は現場責任者として工事現場で働き、家に戻ってから毎日4時間半かけて製図の練習をしました。
このときは肉体的にも精神的にも大変でした、ストレスで円形脱毛症になりました、、、(治るのに3ヶ月程要しました)ですが、頑張ってやったことは「成果」として現れました。

製図の模擬試験では常にクラスの中で一番早く書き上げることができる様になっていました。中卒で製図など描いたことのない現場作業員が、高校、専門学校で製図を習っていた周りのみんなより圧倒的に早く正確に製図が描ける様になっていたのです。本試験ではもちろん一発合格、時間にも余裕がありました。この経験は私に大きな自信を与えてくれました。

「大事なのは今頑張ること」

調査士となったきっかけ

建築士試験に合格して、予備校の先生の紹介で建設会社や設計会社を紹介されましたが、試験に受かったというだけで当然実績も経験もなく、すぐには行動できませんでした。ここでもまた、数年を無駄に過ごし、なんとか建築士免許を活かさないとと考え、資格の本を手に取り「土地家屋調査士」の仕事を知りました。この難関試験を受験するにはまず「午前の部の学科」を免除することが最低条件(午前の部から受験しての合格率はほぼ0%)と知り、その学科免除の条件が一級・二級建築士資格保持者となっていたのです。

その資格の本にはこうも書かれていました。

「土地家屋調査士の平均年収1000万円」

私は「弁護士」や「医者」、「税理士」等の難関国家試験に合格すればそれだけで高収入が望めるんだと考えました。

「この資格を取って独立開業しよう!」

それがとてつもなく現実離れした甘い考えであったことはさておき、28才にして、明確な目標をもって3年間に及ぶ国家試験勉強を始めました。

ここでも60万円の予備校受講費と、ネットで購入する問題集、札幌の予備校へ通う交通費等全て含めると100万近い費用と膨大な勉強時間を費やしました。やれば出来るということは建築士の製図試験で学んだことです、あとは「やるだけ」でした。

3度の受験を要しましたが、調査士試験でも努力の成果は実感できました。本試験では全国10位の得点で合格できました。

仕事から帰ってきては家で勉強ばかり、お風呂でも勉強、寝ながら勉強、ろくに遊びにも連れて行けなかったのに、近くで見守ってくれていた。今の奥さんには感謝の言葉もありません。

本当の苦労はここから…

平成24年度に合格し、翌25年に土地家屋調査士として独立開業。

本来は調査士事務所で補助者経験を積むのが理想だったのですが、そのメリット・デメリットを考慮したうえで実務未経験で開業しました。

開業一年目はHPを作ったり、チラシを知人に配ったりと出来る範囲の営業活動を行いましたが、結果は知り合いから一件依頼があったのみでした。2年目、3年目と状況はそう大きく変わらず。当座の生活費にと貯めた貯蓄もみるみる内に減っていき、バイトをしないと生活もできない状況に陥りました。

4年目以降、同業者の御先輩方にお手伝いさせてくださいと何度も御願いし少しづつ仕事を頂ける様になりました。

現在

同業者の御先輩に目をかけて頂き仕事量は一気に増大、お得意先も少しづつ増え始め、バイトを辞めても調査士として生計を立てられる様になりました。

開業してからの数年間で学んだことは「いま頑張る」ということよりも、頑張れる環境があるということであり、この環境を作って頂いた皆様に「感謝」しなければいけないという事でした。
仕事で関わって頂いた全ての方、家族、周りの皆さんに感謝し、恩返しさせて頂くために、松本事務所だからこそ出来ること、松本事務所のサービスを追及していきたいと考えております。